資本論〈第1巻(上)〉
安心の資本論
ずっと昔から気になっていながら、怖くて読めなかった本、それがこの「資本論」である。怖かった理由は想像がつこう。もちろん、真っ赤に染められてしまいそうで怖かったのである。また、経済学をある程度知らないと読めないのではないか、という別の恐怖もあった。前者については、幸いソ連崩壊、ベルリンの壁崩壊でその恐怖は薄らいだ。大昔ドイツ語を習ったことがある三島氏が訳者の一人であるこのシリーズの出版を機会に、意を決してこの恐ろしい書物に取り組んでみるつもりになった。
まず、後者の恐怖についてはまったくの杞憂であることがわかった。マルクス自身、序文で、「労働者のために書いた。なるべく易しく書いたが、最初の労働価値説の部分だけは少々込み入っているけどごめんなさいね」と断っている。確かに、この部分を乗り切るとずっと楽に読めるし、この部分についても「センテンスは理解できても意味はさっぱりわからない」ラカンや「センテンスも理解不能、意味も理解不能」のデリダのような不当な難解さはまったくない。また、経済学の予備知識はほとんど不要である。あえて読むならばマルクス自身による「賃金・価格および利潤」に眼を通しておくと楽であろう。
では前者についてはどうであろうか? この本には「万国の労働者団結せよ」とか「プロレタリアによる共産主義革命こそが救われる道だ」などのイデオロギー的要素はほとんど出てこない。多くは悲惨な十九世紀の工場労働者の実態に切々と触れられる文であり、マルクスが経済学の研究を通じてこれらの人々の救済を考えたという動機はよくわかる。彼は優れたヒューマニストだったのであろう。
ひとつ注意しておきたいのは、この本の原題のことである。ドイツ語ではDas Kapital,英語ではCapitalであり、決してCapitalismではない。つまり、ここで彼が行っているのは資本主義システム全体の分析ではなく、資本が形成されてゆくプロセスに分析の焦点が当てられていることには留意しておいてよいだろう。
訳は極めて読みやすい。また、文庫本でこの本を読むのは読みやすさの観点からも望ましくないだろう。他の方も書いておられるように、続刊の出版が切に望まれる。
「働く人」のための本
資本論を読むのは2回目である。1回目は河出書房刊の長谷部文雄氏の訳で読み、特に不都合を感じなかったが、第一篇の商品と貨幣が難しかった印象がある。しかし、この新訳では全く抵抗なく読めた。スムーズに読了できたことは訳出の成果によるものと信じたい。
資本論では、マニファクチュアから工場法の制定、機械生産への移行などの社会の変化について手に取るように描かれているが、その鮮やかな筆致に興奮すら覚えてしまう。資本論の面白い点は、マルクスの視座が微視的、あるいは巨視的にと自由自在に転換しながら、対象を様々な角度から解析していく様のスリル感と、様々な視座から資本主義社会の全体像を捉えようとするスケール感だと思う。読書において新たなパースペクティヴを得たときには興奮を覚えるものである。マルクスの主張の是非はともかく、資本論が近現代思想や世界に多大な影響を与えたのは疑いのない事実である。資本論を知ると近現代西洋思想の著作を読むための裾野が拡がる。このことは非常に有益だと思う。そしてとにかくこの新訳は読みやすい文体なのだ。どうか尻込みしないで読んでほしい。「仕事が忙しくて本すら読めない」とこぼしている人にこそ読んでほしい。資本論は、より多くの労働者のために、労働の本質について説明するために書かれた書物だと思う。マルクスのまわりくどい説明にうっとおしさを覚えるかもしれないが、その説明の後には、様々な資料の紹介を経ながら、読者の漠とした理解が次第に明瞭になっていくという文章の構造になっているのだ。
なお、資本論2、3巻がマルクス・コレクションに含まれない理由はおそらくマルクスの生前に出版されたのは1巻のみで、2、3巻はマルクスの死後、エンゲルスがマルクスの草稿を元に編集して出版されたことによるのではと推測している。ぜひ2、3巻の新訳を希望する。
簡潔な現代語、捉えやすい文脈
資本論の訳としては、これが最もよいのではないだろうか。わかりやすい言葉で、要点が太字で捉えやすく、難しい資本論を簡潔に教えてくれる本だ。欠点は、第1巻しかないこと。これは、ほかの本で補うしかないが、コストは懸かるとはいえ、マルクス・コレクション資本論第一巻の2冊と岩波文庫の資本論全9冊で併せて買うのが最善の策であろう。ただ、岩波の資本論よりずっとわかりやすいのがこの本だ。
<<<経済数学入門―経済学入門シリーズ
人にいえない仕事はなぜ儲かるのか? 角川oneテーマ21>>>
[ 経済学 ]

