教育を経済学で考える
「教育」が見ぬふりをしてきた領域。
教育需要、市場メカニズム、人的資本論、新古典派成長理論・・・どれも教育学を学んでいたのでは聞きなれない言葉である。
筆者の述べる「教育には不確実性が伴う」という言葉に、教育に携わる者たちは、甘えすぎていた嫌いがある。知識を詰め込みすぎたから、ゆとりを与えよう。子どもに平等な機会を。今の時代に必要なのは、テストで計れる学力ではなく、時代に対応し生き抜くための力なのだ。これらは教育の世界では使い古された言葉であるが、誰もそれらの言説を疑うことが無い。
本書はそうした教育の「聖域」なる部分に一石を投じているのである。
教育をテーマに扱っている書籍の中では、面白い立場から鋭い指摘をあびせている、というのが素直な感想だ。
ただ、多くの疑問が残る部分もあった。
例えば筆者は「教育」という単語を惜しげもなく使っているが、そもそも「教育」とはなんであるか、という定義がなされていない。学校で行われる国語や算数などの授業も教育であるはずだし(本書では主にこちらを扱っているか)、廊下を走ってはいけないと注意するのも教育であるはずである。筆者は教育の「文化化」の側面にのみ焦点をあて、「社会化」の側面にあまり触れていない。
また教育はその性質上、どうしても「聖域」なる部分に触れざるを得ない。それは筆者も認めていることである。やはりそこに経済学を教育学に応用することの限界があるのであろう。
経済学に縁のない方には数式の部分などは少々読みづらいかもしれない。現に私は読みづらかった。しかし、興味深い指摘も多く、大変参考になった書籍である。
夢または勘違いが…教育需要、第三章の巨大インパクト
私も文系学部卒業後、フルタイムの専門学校に入り、それが結局職に繋がらなかったり…
耳が痛い話である。
教育成果ってのは予測が極めて難しく、やってみないと分からない事が多い、という主張は著者の全編を通じた論の根本だ。確かにその通りだと思うがコスト削減の努力は、社会全体(時間的も金銭的にも)で為されていいと思う。
個人や家庭じゃ抗し難い「雰囲気」というのが有る。
経済学で教育の成果を語っていいのかな。
経済学を若干かじったことがあれば、筆者の分析の手法や意味はわかる。
経済学で教育を考える場合、その成果の尺度は、教育によって獲得される『所得』の大小のようである。(特に)親にとって、教育は投資か消費か?それも『金銭単位』の議論だ。
経済学は金銭的な損得を問うだけの学問なのだろうか?
大学全入時代にあって、中高生のほとんどが塾に通うこの国の病理は、上記のようなミクロレベルの経済合理性によっては、完治しないのではないか。
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