ケインズの予言
優雅な没落へ
上巻『アダム・スミスの誤算』とも同じスタンスだが、本書で著者が力点を置いているのは、ケインズが提唱した政策の善し悪しでなく、彼が何を言いたかったのかを現代の視点で読み解くことである。例えば、ケインズの自由な市場競争主義への批判を、グローバル化したコントロール不能な経済への批判、と解釈しなおすわけである。
そして最後に著者は、「豊かさの中の停滞」や「豊かさの中の退屈」に直面した我々に残された道は「優雅な没落」だと説き、その具体例も示しているがリアリティを欠く。
しかし、経済のグローバル化とその後に訪れるものを再考する上では参考になる著書である。
新自由主義者のケインズ排斥
レーガン、サッチャー政権の「新自由主義」がケインズ経済学に依拠する人々を排斥していった事実から筆を進めます。
「レーガンが行なった政策が何であったのかちうこととは別に、マネタリストによるアンチ・ケインズ主義の
潮流は一種のイデオロギー」にまでなったということです。
そしてケインズを読み返し、ケインズが誤読されていた状況を鮮やかに説明していきます。
例えばケインズのナショナル・エコノミーという一国経済学の観点の部分、「労働者は容易に国境を越えることはできない」という点は、
日本経済を念頭に置いたとき極めて有益なヒントになります。新書ながら良書です。
グローバリズム問題としてのアダムスミスとケインズ
著者は「アダム・スミスの誤算 幻想のグローバル資本主義(上)」を発表し、その続編となるのが本書である。
アダムスミスを市場主義者とでもいう括りにいれるのならば、ケインズはアダムスミスとは対立するという見方も存在するのではあろう。だが著者の場合は、アダムスミスは一種変わった角度から論じ、グローバリズム問題という観点から考えた。そしてそのグローバリズム問題という観点から考えた場合、アダムスミスとケインズは対立するのではなく、グローバリズム問題に関してはどこか警戒的とでもいうのか、その意味ではアダムスミスとケインズは同一線上にあるのではないかと見たという事ではないかと思われる。
“ケインズ理論が七〇年代の経済、政治の現実とはそぐわなくなってきたということだ。だが、ケインズ主義の凋落の理由はそれたけではない。いわば「外的」なあるいはイデオロギー的理由というべきものがあった。それが八〇年代以降の「新自由主義」の潮流である。(16頁)”と佐伯氏は言う。
七〇年代のケインズ理論の凋落…八〇年代の新自由主義潮流…そして本書は「幻想のグローバル資本主義」というタイトルを銘打つ。
これらを含め見てみると、「(グローバリズム問題という観点からの)アダムスミスとケインズ」という要素が、時代が進むにつれて薄れてきているのではないかと私には思われてくる。また、何故にグローバリズム問題が浮上もしくは語られるのかとなれば、それは「(グローバリズム問題という観点からの)アダムスミスとケインズ」というものに対して考慮を欠いたのではないかとも私には思われてくる。
本書は、普通とは一風変わった問いかけをしている本ではないかと思う。またそして、示唆的であるのだとも思う。
[ 経済学 ]

