雇用・利子および貨幣の一般理論
J.M. ケインズ(著)
定価: ¥ 3,570
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発売日: 1995-03
発売元: 東洋経済新報社
貨幣は月である
「いって見れば、人々が月を欲するため失業が生ずるのである」
金本位制の時代、貨幣は月のように再生産不可能なものであった。しかし、月が生チーズであることが露見し、貨幣が中央銀行(生チーズ工場)で大量生産されるようになっても、人々は月を崇める如く貨幣(生チーズ)を際限なく貯め込もうとしている。
ケインズ自身の前書きにあるようにこの書の主張は明白なもので、そのタイトルに沿っていうと「雇用において非自発的失業が生じる場合、貨幣市場に貨幣を供給し、(資本の限界効率以下に)利子を下げ、投資を喚起し、高い限界消費性向のもと乗数効果で所得を拡大し、かような失業を解消する」ということだ。これは主に金融政策についての書であり、貨幣にかかわる人間行動を分析した魅惑的な古典なのである。
財政政策は、金融政策がうまくいかない時の補助的手段と考えられているようだ。有名な「紙幣を壷に詰めて」の箇所も、「失業が極めて長期になり、どんな賃金でも不当に高い(!)と思われる状況」が前提となっている。この部分は「古代エジプトのピラミッド」等と続き、少々悪乗りしているようだ。また、国家が総投資量を管理するのを期待した部分もあるが、これは当時の社会主義の風潮に対抗しようとしたものだろう。
彼自身何度も既得権益の壁に跳ね返されたことを考えると、最後の部分は読者(つまり仲間の経済学者)を鼓舞しようとしたものだろう。現実には、既得権益は(古い?)思想と結びついてより強固なものとなっているものだから。そして、彼の思想も何時の間にか既得権益と結びつき、彼自身しばしば三文学者の役割を演ずる羽目になっている。
ケインズの分析は今でも光り輝いているが、その対策はすでに実現されているか或いは効果が薄いことが実証済みである。その意味で、我々はケインズ以後の時代に生きている。
一読み物として
本書のどこかで、著者は、古典派経済学を引きずり下ろされるべき絶対君主になぞらえているが、マクロ経済学が発展していく過程で、他ならぬ彼自身もそういう運命を辿った。だが、それも彼の本望と考えるべきかもしれない。「ケインズ経済学」などというレッテルは忘れて、経済や社会について書かれた一つの読み物として捉えれば、結構面白く読める本だと思う。現代のマクロ経済学では、著者が言ったようなことを分析するには、ワルラス的完全競争の世界(より正確に言えば、動学的なアロー、ドブルー、マッケンジーの一般均衡の世界)を基礎にしつつ、何らかの市場の失敗を導入することによって問題を定式化し、分析することが最も実りある態度であるというコンセンサスが出来てきていると思う(では、マクロ問題を定式化したとして、そこに政府が以下に関与すべきか、その点についてはコンセンサスが未だないが)。そういう、十分にミクロ的基礎を持つマクロ経済学でしっかりトレーニングを受けた人こそが、著者の言っていることを鵜呑みにするのではなく、反駁したり、考え直したりしながら読んでフレッシュな感覚を得られるだろうし、彼独自の警句や論旨展開にも惑わされることなく、レトリックを学ぶ良い機会にもなると思う。だからと言って、論文のネタ探しだとか、「ケインズに帰れ」といった過度な期待や下心を持つのではなく、あくまで一読み物として読むという軽い気持ちが良いだろう。私にとって本書は、経済を考え抜くことが、社会の経済的側面以外にも目を開かせてくれることを教えてくれると言う意味で、清涼剤の役目を持っている。
偉大なる源流
多くのマクロ経済学の教科書が、ケインズを財政金融政策による完全雇用、賃金の下方硬直性の経済学であると解説している。しかし原書を読むと、そのような理解だけではケインズの本質をとらえていないことが分かる。ケインズは戦後矮小化されたのである。
大学の授業や経済学書を鵜呑みにする前に、一度じっくりと挑戦してみるといいかもしれない。そして独自の市場経済観を養って欲しい。
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